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2010/11/25

ネット時代の幸不幸

 メール、ブログ、ツイッター、フェイスブックと、ネット時代のコミュニケーションツールはますます広がる。私などはこのブログあたりまでがやっとで、秒刻みで地球の裏側の人につながるツールは使いきれていない。
ネットテクノロジーは、確かに、国境を越えて、人をつなぎ、異文化の壁を超える協力で、希望の持てるツールであることは間違いない。今や、言葉の壁だけが大問題で、それをこれからどう越えていけるかだ。

ただ、そんな中で、日本からも、そして、オランダからも聞こえてくるくらい面もある。ネット中毒の問題だ。ネットでいつも誰かにつながっていなくては不安、という症状を持つ大人や子どもが増えていることだ。

つい先日のオランダの新聞に、「何をやる気も、また、将来の設計に取り組む意欲もない子どもたちが増えている」というのだ。しかも、それは、経済的にも豊かで、何不自由なく育てられてきた子どもに多い。大半の時間を家に閉じこもり、大学で勉強を始めても、そのうちやる気をなくして退学してしまう。かと言って、次に何をしたらいいのかわからない、そういう子どもたちが、オランダでも増えているという。

産業化社会は、どこも、共稼ぎ家庭が増えている。就学率の上昇、高学歴者の増大は、教育投資に見合う人材を産業界で使うのが当然だろう。また、少子化・高齢化社会が進む中、若年労働者が、労働市場にとどまれるようにすることも正当化される傾向がある。

そんな中で、置き去りにされる子どもたちの発達は本当に大切に考えられているのだろうか。

子どもたちが親と触れ合う時間、学校で社会性や情緒を育てるための真剣な取り組み、地域社会を子どもたちにとって過ごしやすい場とする取り組みはあるだろうか。

オランダの子どもたちについての記事の中には、「どうしてこんなに多くの子どもたちがやる気なく、冒険信をもたないのかについては、まだ、きちんと調査研究されていない、しかし、この子たちには、潜在的なうつ病予備軍であることは間違いない」というようなコメントがあった。

オランダには、一部に、子どもたちの自立性・共同性に熱心に取り組むオールタナティブの学校があり、自由裁量権を得て非常に先進的な取り組みをする機会がある。そういう一部の学校の影響からか、全体としては、子どもたちの幸福度が極めて高い。そういうオランダでさえ、上のような、受け身でやる気のない子どもたちの問題が表面化してきている。

世界の子どもたちは、今、どんな子ども時代を送っているのだろう。
ネット文化を、身近な足元の人間関係や問題意識を豊かに展開するために使える人はいい。しかし、目の前の生きた人間とのかかわり方を知らずに、そのさみしさを紛らわすためにネットに没頭したり、ゲームに明け暮れる子どもたちもいるということを、私たち大人はもっと深刻にとらえるべきなのではないか、と思う。

こういう子どもたちがわんさと大人になった時、未来の社会は、果たして、本当に、異文化の壁を越えた豊かな社会になっているのか、それとも、気分だけはつながっているが、本当に、共感を分かち合う手段を持たない気味の悪い人間ばかりになっているのか、、、、

2010/11/17

へそまがりのトリリンガル理論

大勢の人が飛びつく話題には乗りたくない、、、、そのもう一つ先を言わずにおれない、、、どうも私の中には、そういう手名付けにくい、へそまがりの虫が住んでいるようだ。

バイリンガル理論が日本でもどうにか一部で根付き始めたようだ。だから、私はあえて、今の時代にトリリンガル理論をすすめたい。


いまから30年以上前、「これからの時代、日本語だけではだめだ」と思って、わたしは英語会話の学校に通い続けた。当面は留学が目的だった。しかし、語学研修でイギリスに行って帰ってきたら、西洋先進諸国と言われるアメリカやイギリスへの興味が、なぜかガクンとなくなってしまった。
そうして、数年後、マレーシアに留学した。西洋文化に対するオールタナティブがほしかった。以来、ずっと、日本語+英語+OO語というトリリンガル生活が今日まで続いている。

マレーシアでは、巷のインド人中国人たちが、母語のほかに英語をペラペラしゃべっているのにあきれた。それどころか、当時、ナショナリズム政策で優先されていたマレー語もみんな使いこなしている。だからと言って、自分たちの文化的なアイデンティティを失っているわけではない。

昨日、日本の『英語教育』の視察団の方たちにお会いした。
日本の子どもたちには、ヨーロッパの国々の子どものように、異文化に触れる機会が日常生活の中にないため、英語学習への「動機づけ」が限られているという話になった。
「それならば、子どもたちを動機づけるために、<子ども国連>をしたり、英語でかかれた子ども向け雑誌を発行したり、英語のテレビ番組を作ってはどうか」と提案したら、
「日本にはいまだに、西洋支配の象徴のような英語を義務付ける必要はない、というような人たちがいまして、そういう全国的なアクションをやりにくい、、」という話だった。

その程度のナショナリズムを振り回す人に限って、日本の文化や伝統の深さを知らないのではないかと思う。そもそも、そういう人たちこそ、自分自身のアイデンティティのよりどころを確信できていないのではないのか。自分が何者か、自分の拠って立つ文化をどう自分自身が評価できているのか、それがあって初めて人間のアイデンティティは確立する。そして、そういうアイデンティティがあれば、外国語を学ぶことによって日本文化が崩壊する、などという僭越な議論には走らないはずだ。国旗を挙げ、国歌を歌えばアイデンティティが育つというのは、根拠のない迷信だ。アイデンティティは、他者を知ってこそ初めて育つものだ。他者を徹底的に知り尽くしてやろうじゃあないか、という気概がなければ、また、他者の存在を世界の同朋として受け入れようじゃないか、という懐の深さがなければ、自分のアイデンティティなどというものは生まれようがない。

なんとまあ、遅れた国際意識か、と改めて思う。チョンマゲ日本人がまだのさばっている。

日本は島国、ちょうど、英語を国語とするアメリカやイギリスと同じように、国民がモノリンガルである国の典型だ。今時、モノリンガルである地域の方が、多分、世界地図の上ではマイノリティなのではないか。モノリンガルがなぜだめか、というと、「相対的なものの見方」ができにくいからだ。

アメリカとイギリスに比べ、日本がもっと大きなハンディを背負っているのは、当たり前のことだが、日本語が世界語ではないことだ。アメリカやイギリスは、自分たちはモノリンガルでも、よその国の人が進んで情報をくれるからまだいい。日本の場合、自分たちが英語をしゃべらなければ、外国の人は気にもかけずに無視していくだけだし、逆に、外からの情報を得る手段もない。

そもそも、言語なんてものはツールでしかない。ツールは多いに越したことはない。しかし言語というツールは、ツールらしい、役に立つものにするために数年の時間が必要だ。それを国が支えてくれない、制度としてやれない、というのは、国民にとって大変な損失であり、機会剥奪でさえあると思う。

―――

と、ここまでなら、単なる英語礼賛、バイリンガル礼賛になるのだが、私は今トリリンガルの必要を強く感じている。特に、流行を追うように英語を学び、それで「国際化」の一歩を踏んだかのように思ってしまう若い人たちへの忠告として、トリリンガリズムをぜひとも勧めたい。
英語礼賛はあぶない。それだけでは、アメリカやイギリスへの留学・研修で、安易に国際化が済んだ、と思ってしまう態度につながりがちだからだ。私の専門分野である教育学でも社会学でも、学者にはその傾向が強い。それが、英語以外の言語圏への関心を相対的に低くしてしまい、場合によっては軽視、そして、アメリカ、イギリスという、特殊なアングロサクソン圏の文化や思想を、「西洋思想」として一般化してしまう傾向が強くなりすぎるからだ。英語は必要だ、バイリンガルは、今の時代を生きていくための最低条件だ、しかし、それだけでは十分ではない。

日本人一般に対しては、まずは英語能力を今の10倍にするつもりで高めてほしいと願う。しかし、日本の知識人、新しい時代を生きる若い人たちに対しては、トリリンガルになってほしいと思う。今やそのくらいの覚悟がなければ、世界に通用する知識人らしい知識人にはなれない。英語以外にもう一つ、どの言語でもいいから、ふつうに情報収集できるだけn言語能力を身につけてほしい。ドイツ語でもフランス語でも、中国語でもヒンズー語でも、ロシア語でもアラビア語でもいい。そうすれば、英語文化が相対視できるようになる。日本と英語圏の文化に対して、第3の点を設定し、それぞれの位置づけをはっきりさせることができる。

開発途上国のリーダーたちは、たいていがトリリンガルだ。彼らは、インターネットの普及の影で、今や、したたかに世界の最も先進の情報を吸収している。その同じ時間に、曲がりなりにも「大学」を出た学歴のある日本人が、閉塞感の強い社会でうんうん唸りながら面白くもない仕事を残業までしてやり、その挙句、リクリエーションと言えば、茶の間でたくわんをぱりぱりしながらバラエティ番組を見るか、インターネットで、日本語に限られた情報だけをサーフィンするか、日本語だけでブログし、つぶやきまくる、、、、はたまた、役にも立たない(エログロナンセンス)マンガを見て過ごすだけ、、、、これが「武士道」の日本人か、、、、単なるチョンマゲ日本人のやせ我慢にすぎないのではないか、、、、情けなさを通り越えて、日本人が意識もしていない間に、ますます、世界の人々の知的レベルからかけ離れたところに孤立していっていることに、ゾクっとするほどの危機感を感じるのは私だけだろうか、、、

日本人が能力が低いのではない。日本人には優れたさまざまの能力があると思う。しかし、それを外に向けて伝えることも、外からの情報をもとに、持っている能力にさらに磨きをかけていくこともしなかったら、そして、そうするための手段や機会に接近できなかったら、たんに宝の持ち腐れになるだけだ。たくさんの可能性に満ちた大人や子供の能力を引き出す機会と制度に欠けていること、それが、まさに、日本の大問題だ。

2010/11/02

ラオの後日談

カンダヤおばさんからスカイプで電話が入った。
今から約30年前、マレーシアで世話になった下宿の大家さんだったインド人のおばさんだ。
(拙著『地球を渡る風の音』でも紹介)

10年ほど前にご主人を亡くされ、二人の息子はオーストラリアに移住してしまったが、70を越えた今も一人でマレーシアで暮らしている。30年前、マレー人を優先して中国人やインド人に対する待遇が厳しかったマレーシアで、インドから輸入した食料品を売る小さな街かどの雑貨店を営みながら、二人の息子をイギリスに留学させた。

その雑貨店にラジャというインド人の奉公人がいた。当時24歳ぐらいだったと思う。クアラルンプールのゲットーに住む貧しいインド人労働者の息子だった。早朝から夜遅くまで、雑貨店の雑用を手伝いながら、カンダヤ夫妻と寝食を共にし、家族同様の暮らしをしていた。小さい頃からいろいろな仕事を転々とし15歳くらいの頃にカンダヤ夫妻の店にやってきたという。カンダヤおばさんはそういうラジャに店番をしながら英語会話を教え、毎月の給料のほかに貯金を積み立て、数年後にラジャが自立した時にはその貯金を持たせてやった。

私が彼女の家に下宿をしていた頃、一人の痩せっぽちのインド人の少年がやはり雑貨店の手伝いをしにやってきた。ラオというその少年は、話に聞くと13才だったそうだが、痩せた体つきといい、無言の表情といい、どう見ても7歳くらいにしか見えない。貧しいゴム園労働者の子どもだったそうで、祖母との暮らしでは十分な栄養も与えられず、学校にも通えなかったものらしい。

ラオは、ラジャやカンダヤおばさんに見守られながら、雑貨店の雑用をしていたが、そんな体つきではほとんど仕事らしい仕事になっているようにも見えなかった。きっと、人づてに頼まれてカンダヤ夫妻が引き受けることになったのだろう。

そういうラオが、ある日突然姿を消した。カンダヤ夫妻とラジャとは騒然となり、いつもの日課を棚上げにして近所を探し回った。どうしても見つからないから、と夕刻には警察に捜査願いを届けることになった。そして翌日、ほっと安堵と幾分かの疲れを表情を顔に浮かべたカンダヤおばさんは、ラオがゴム園の祖母のところにひとりで帰っていたことが分かった、と教えてくれた。

「いったいあんな小さな、言葉もろくにしゃべらない子が、バスに乗って遠いゴム園までどうやって帰ったのだろう」というのが、その晩のカンダヤ夫妻やラジャたちの話題だった。

どうやら、雑貨店で働きながら、客が支払う小銭の一部をほんの少しずつ貯めていたものらしい。そうしてバス代がたまったところで、バスに乗って帰ってしまったのだ、、、

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私は、このラオという少年のことが忘れられなかった。同じような境遇からやってきて、英語を覚え、家族のように扱われ、やがて工場のメンテナンス職員として独立していったラジャとの対照があまりにも大きかったからだ。ほんの小さな判断の違いが、人生をこうも変えてしまう、ということに、なんとも言えない気持だった。だから、私はこの二人の少年のことをわざわざ『地球を渡る風の音』のエピソードとして紹介していたのだった。

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スカイプの発信音を鳴らして、突然電話をかけてきてくれたカンダヤおばさんが、ラジャやラジャの家族の近況などを話してくれるのを聞きながら、ふと思い出して、
「ねえ、ところで、覚えてる? 私がいた頃、ラオという少年がやってきたでしょ、後で突然いなくなってしまった、、、、、あの子その後どうなったのかしらね」
と尋ねてみた。

するとカンダヤおばさんは
「ああ、ナオコ、ラオを覚えていたの?よく覚えていたわね、、、。ラオはね、あれから何年かしてうちを訪ねてきたんだよ。突然うちの玄関をノックしてね、、、『おばちゃん、おばちゃんが正しかったよ、ぼくはあの時帰ってしまうべきじゃなかった、ってあとでよくわかったんだ』って、そういってきてね」

ええーっ、と思わず私は驚きの声を上げずにおれなかった、、、

ラオはその後成長してトラックの運転手になったのだそうだ。
カンダヤおばさんによれば
『ラオはちゃんと仕事をしているよ、、、3人の子どもたちもちゃんと学校に行っているよ、上の子は大学に行ったんだけど交通事故に会ってね、、不運なんだねラオは。でも、ラオよりも利口でしっかり者の奥さんがいるから大丈夫、、、』

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そういうカンダヤおばさんは、子どもたちが移住してひとり立ちした後は、雑貨店を閉めて、夫の年金と、自宅に置いている下宿人からの収入で生計を立ててきた。週に一度はヒンズー教の寺院に参り、週のうち2,3日は、大学病院のホスピスで末期がんの患者の話し相手になるというボランティアを続けている。毎年一度は子どもたちがオーストラリアに招いてくれ、必ず年に一度祖国インドに帰ってヒンズー教の寺院に参り、1,2週間孤児院の手伝いをして帰ってくる。

判を押したように規則正しい、無駄やぜいたくのない暮らしぶりは、きっとあの頃のままであるのに違いない。

そういう彼女の、決しておしつけがましくはないのに、自分自身を律した生き方が、周りの人々の心に何かを芽生えさせる。ラオのような少年の心まで、、、

2010/09/24

自由

あなたがあなたらしくしていられること、それが自由。

どの人もそれぞれ自分らしく生きることを保障されている社会、それが民主社会。

それを法に照らして守る努力をする、、、それが、官僚の仕事のはずなのだけれど。

2010/09/06

エリート形成をしてこなかった日本

研修で半年間オックスフォードに滞在している娘を訪ねて、数日イギリスを旅してきた。今から36年前、19歳の時に訪れて以来だ。

36年前に比べて、オックスフォードはすっかり様変わりしていた。外国人の留学生や観光客であふれかえっていることだ。70年代初頭には、外国人留学生といっても、多分、よほどのエリートか、かつてイギリスの植民地だった国々のリーダーたちくらいしかわざわざここまで来て勉強することはできなかったのではないか。しかし、英語が世界の共通語になり、国境を超えることも容易になった現在では、オックス・ブリッジは、ヨーロッパにおけるのエリート教育の、ひとつのメッカになっている。

現に、娘のように、自国で自分が通っている大学の単位と交換できるという好条件のために、気軽に外国の大学で単位を取るヨーロッパの学生は多い。自国とは異なる文化の異なる大学での経験が、複眼的に見る力を育てることは間違いない。欧州諸国の中でも特に、イギリスは、英語で留学できるので、外国人留学生の数が飛びぬけて多い。

オックスフォードやケンブリッジは、チューターと呼ばれる教官らが、少人数の学生と寝食を共にして、丁寧にエリートの養成にかかわるカレッジ制度で有名だ。

高校卒業資格を取るとどの大学にも入学できるオランダの制度とは異なり、イギリスでは、科目ごとにAレベルと呼ばれる資格を持っていなくてはならないほか、さらに、作文や面接に拠る選抜が入学の条件になっている。オックスフォードやケンブリッジは、中でも、有名エリート養成校として、むかしから、相当に厳しい関門がある。

専門書だけで16万冊以上の本を棚にそろえているという、有名なブラックウェルという名の本屋を訪れた。入口の近くに並べられていた新刊ベストセラーの中に、面白い本を見つけた。

「あなたは自分が利口だと思うか?」というタイトルのこの本は、実を言うと、オックスフォードとケンブリッジの入学志願者らが、面接で実際に教官たちから聞かれた「質問」を集めたものだ。タイトルの質問も、そのうちの一つ。

ぱらぱらとめくってみるとこんな質問があった。
「仮に地面に穴を掘って、地球の反対側まで掘り続け、反対側まで辿りつけたとしよう。反対側に穴が開いた瞬間に、すぐに反対向きに戻ってくるとしよう。いったい、何が起こるだろうか?」(工学部)
「毛沢東が今生きていて、現在の中国の経済政策を見たとしたら、一体何というだろうか?」(東洋思想)

こういう種類の、実に意地悪な質問が、一冊の本にズラリと並んでいるのだ。考えただけで、背中に冷や汗を浴びそうな質問ばかりだ。

おそらく、決まった答えがある、というよりも、面接を受ける志願生が、どれだけ論理的な思考力を持っているか、幅広い関心やありとあらゆる状況・条件を考慮する力があるか、また、自分の考えを適切に言葉で表現できるか、などを問おうとしているのであろう。独創性も問われているかもしれない。

オックスフォードやケンブリッジの大学のサイトを見てみると、各学科ごとに、どんな能力や適性が問われるのか、を一覧にして具体的に上げてある。それは、科目ごとに試験を受けてAレベルの成績をとったということだけではすまない、筆記試験では測ることのできない、実際に会ってみて議論や意見交換をして見なければ推量できない能力だ。
入学の条件になるのは、筆記試験と口頭面接だけではなく、趣味やスポーツ、社会活動への関心なども含まれる。もちろん、社会奉仕活動さえしていれば、それだけで「有利」というような単純なものではないはずだ。問われているのは、オールラウンドの能力、いずれ、人の上に立つ人間としての全人的な能力を持っているか、あるいは、その能力を引き出されるだけの、エリートとして潜在的な価値のある人間か、なのだ。

大学の入学試験は だから、「エリート」になるための最初の重要な関門だともいえる。
日本のように、中学、高校、大学と進学するたびに、筆記試験で知識の量を測られる入試制度とは少し趣が異なる。

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昔から、パブリックスクールと呼ばれる全寮制のエリート中等教育を出て、オックス・ブリッジのカレッジでエリート養成を受ける、というのは、イギリスのエリート教育の一つのパターンだった。
しかし当然、そういう高い教育費を払える家庭の子どもだけではなく、社会経済的に恵まれていなくても、優れた能力を持つ子どもたちには、国から奨学金が与えられる仕組みがある。

エリート教育は、国の行方を決める、さまざまの分野での指導者たちを育てるためのものだからだ。


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パブやカフェを訪れると、学生や若人らが、テーブルでビールのグラスなどを前に、何時間も真剣に政治議論を交わしたり、専門分野の議論に花を咲かせている。日本の町ではほとんど出くわすことのない風景だ。そこには、インド、バングラデシュ、南アフリカ、などといった国々からの、見るからに頭のよさそうな学生らもまじえた、真剣なまなざしと真剣な議論がある。
欧州の学生らも、単位互換制度や語学研修、サマースクールなどを利用して、始終出入りし、国際的な学術交流の経験を重ねている。


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そういう風景を目の前にして、ふと、インターネット上で日本の時事を見た時にふと垣間見える、何か、タイムスリップしてしまったような、世界からの懸隔、世界から置いてきぼりにされているような、はたまた、世界から目をつぶってしまったような日本を、いったいどう理解すればいいのだろう。

日本の教育は、エリートも一般市民も、どちらも育ててこなかったと思う。

日本の教育が育てているのは、多肢選択肢の試験で勝ち残ってきた、認知能力だけに著しく偏った、(有名)大学のパッシブでおとなしい学生たちと、授業についていけずに落ちこぼれるしか選択肢がなく、ひねくれて社会に背を向ける子どもや大人たちだけだ。

ヨーロッパの国々がエリート形成にかける真剣さを、日本人は、日本の指導者は、文科省の官吏らは、多分ほとんど実感として知らないのだろう。

相も変わらぬ一斉画一教育、入試で子どもたちをふるいにかけるだけの学歴社会は、エリートとなるだけの能力を潜在的に持って生まれてきた子どもたちの力を引き出していない。また、エリートにならない、今の制度ではふるいに掛けられて振り落されるだけの子どもたちに、生き生きと生きていけるすべを与えていない。


試験競争に勝ち残って有名大学に入ってきた学生たちは、やがて、地位の安定と高給だけを目指して、政治家となり、官僚となり、大企業に入って管理職への階段をのぼりはじめ、大新聞社や大出版社の従順な社員となる。彼らは、「エリート」として、国の発展のために尽くすことを、彼らの使命としてどれほど真剣にとらえているのだろう。「自分さえよければ」「自分の人生さえうまく終えることができれば」後にどんな社会が残ろうとも、頬被りをして済ますだけのエリートたちだ。

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本来、学校とは「科学」を学ぶ場だ。
「科学」とは、「問うこと」から始まる。自分が自分の経験を通して、自分の頭で考えた「問い」だ。「問い」に仮の答えを出してみるのが「仮説」であり、それを、誰の目にも明らかな方法で証明してみるのが「科学的な手続き」である。

だが、いったい、「卒業論文」という名の科学論文を、何割の学生が「問い」をたて「仮説」を立てて、科学的に証明したプロセスとして書いているだろうか。一体、何割の学生が、「私見」を交えずに、客観的な手続きを、客観的な記述と説明で論文に組み立てているだろうか。いったい、どれだけの学生が、先行研究の研究者に、払われるべき尊重の態度をもって、他者の論文の出典を明らかにして公正な引用をしているだろうか。筆記・口頭での議論を通して、立場の違い、証明の手続きの違いを明らかにするというプロセスを、どれくらい訓練されているだろうか。

FindingsとConclusionの違いを説明できる大学生が、いったい、日本の大学生の全数のうちに何割いるだろう。

そもそも、中等教育までの教育の中で、あるいは、遅くとも大学教育の中に、科学的な証明とは何か、科学的な論文とは何か、を学べるカリキュラムがどれほど組み込まれているのだろうか。大学教育に携わっている教員たちの、いったい何割が、国際的に通用する「科学」的な手続きをもって何かを証明しようとしているのか???? 単なる知識の切り貼りではなく、、

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大学が、科学を尊重して、あらゆる分野での先端の仕事にかかわるエリートを育てる場なのだとしたら、日本の大学は、大半が「大学」の名に値しない。

有名大学に入ってくるのは、他人を押しのけて、点数競争で勝ち残っただけの学生だけだ。二流といわれる大学では、中学の数学を教えたり、リクルート訓練をしたりしているという。

入試競争に勝ち残ってうまく有名大学に入学した学生たちが、卒業して、政治家、官僚、ジャーナリスト、会社の経営者、などなどの立場に着いた時、いったい、彼らに、社会を率いる、どんな力があるというのだろう。社会を率いるために必要な、リーダーシップやく人を説得し人の言葉に耳を傾けるというコミュニケーション能力、集団で協力して物事を進める力、物事の裏の面を見る力、批判的な思考、反対意見に耳を傾け、自分に反対する人を説得する力などなどの力を、彼らは、学校生活のどこで、いつ育てられているのだろう。社会を率いるどころか、自分の[社会的地位]「高給」が約束されることだけが、目的の人生を送る人が大半なのではないか。

いったい、だれが、そんなエリートを来る日も来る日も育ててきたのだろう、、、?

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どんな国にも、同じ程度の比率の人が、エリートとして、社会を引っ張るだけの(潜在的な)能力を持っていると思う。しかし、日本の場合、そういう能力を持ってうまれてきているはずの人たちのさまざまな力が、学校教育の場で十分に引き出されず、十分に育てられず、訓練されないまま、世の中に吐き出されているのではないか。

客観的で科学的な手続きを踏まえた知識や、正当な議論の力によってではなく、カリスマ的な人気が社会的影響力を持つための重要な要因となる今の日本は、おかしいし、危険だ。

有名大学の卒業者たちは、多分、それで満足なのだろう。なにしろ、この国は、有名大学を出れば、「桁はずれ」の高給と社会的地位が約束されるのだから。
しかし、そんな日本の大学の卒業生らの力は、今、世界からは取り残されつつある。そして、約束された高給や地位も、社会に未来がなくなれば、崩れさることは目に見えている。もしかすると、今の時代の動きの速さから行くと、「安心できる」はずの学歴も、何の確証にもならない日が目前に来ることだろう。世界中のエリートたちが、本当に全人的な、オールマイティの能力を、アメリカやヨーロッパの伝統あるエリート教育の場で訓練されつつあるのだから。

2010/08/25

若い人たちへ

あなたがまだ人生で何をしたらいいのかよくわからなくて悩んでいるのなら、世界を見に足を延ばしてほしい。世界には、あなたが想像もしたことのない人々の暮らしが、まだあちこちに残っているはずだから。

日本のように、スイッチを入れれば灯りがつき、蛇口をひねればきれいな飲料水が出、トイレには温かい便座と洗浄機がついていて、暑い日には冷房があり寒い日には暖房がある暮らしは、世界では当たり前ではないのだから。

そのかわり、世界の人々は、あなたに、きっと人間の力の限りなさを教えてくれるに違いない。
日本の暮らしが、世界の片隅の、ちっぽけな島国だけの物語であることに気づかせてもらえるに違いない。

だから、世界に足を延ばしてほしい。
テーマなど持っていなくていい。そんなものは、どうせぶち壊されるに違いないから。

でも、そういうあなたに、もうひとつお願いがある。
それは、あなたがたどり着いた国を理想化しないでほしい、ということだ。日本から逃げ出すために、家族や友人との生活に疲れたからと言って外国に行ってはいけない。
そして、できれば、一つの外国だけではなく、もう一つ、またもう一つと第3、第4の土地を訪れ、そこの人々の間に入って、暮らしのにおいをかぎ、人々の息遣いに触れてほしい。

あなたの知っている日本、あなたが新しく知った国、それぞれの国を離れるたびに、あなたの世界観は、立体的になって、それと同時に、自分自身の姿や力が見えてくるに違いないから。

日本を捨てるのではなくて、日本という島国の国境を意識しないでいられる世界人になってほしいのだ。

言葉なんて最初はできなくて構わない。言葉なんて、使わなければできないものだ。
でも、その土地に行ったら、ベストを尽くして、言葉を覚えるように努力してほしい。言葉は、それを使う人々にとって、歴史の遺産であり、宝物のように大切なものなのだから。そして、その国の言葉で書かれたものこそは、その社会のありとあらゆる情報の宝庫なのだ。

インターネットを開けば、どの国の事情もどの国の様子も見えてしまう今の時代。でも、臭いは嗅げない。人々が何を話し、何に喜び、何に悲しんでいるかは感じられない。その土地の温度はわからない。風の強さも分からない。

だから、そこに実際に身体を動かしていって、自分の五感で感じてほしい。

不幸感や閉塞感の強い日本から脱走するためではなく、日本に生まれたことが、自分にとってどんな意味を持っているのかを、眼を覆わずに自覚するために。

2010/08/20

なぜ変わらない日本の教育、、、取り返しのつかないこと

来月ユトレヒト大学で講演をすることになっている。市民性教育の専門家たちの企画で、「子育てとその文化的背景」というわけで、ヨーロッパ以外の国々での子育て事情を、その歴史的な背景に照らして問い直してみる、というシリーズ講演の一環だ。

孤独感が極端に大きい日本の子どもたち、それを裏書きするように、不登校の数、自殺率、ひきこもり、いじめ、そして、最近では、ひとりでいるところを食堂で見られたくないからとトイレで食事をする学生までいるというからあきれたものだ。

経済不況で、社会そのものに閉塞感がある、というのは、一つの大きな背景ではある。しかし、日本よりも厳しい経済状態にある国はまだまだ多い。それなのに、大人だけではなく、子どもたちにこんなにも閉塞感が強いのはなぜなのか。直接的には、学校や家庭など、子育て環境にさまざまの問題があることは明らかだ。

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それにしても、今回の講演、頭が痛い。
「そんなにひどいことになっているのに、なぜ制度が変わらないの?」
という問いに、答えを出せ、というようなものであるわけだから、、、、

普通に、民主制度が機能している国なら、こんな状態になるまで放っておくことはないはずだ。

早い話が、「民主社会が作れなかったのです、官僚支配の学校制度のおかげで」という話を、納得できるように伝えなくてはいけないわけなのだけれども、、、。

日本人ですら納得できない日本の教育の現状、どうやって、オランダ人たちに納得させることができるだろう、、、、と頭を悩ましている。

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元来、民主主義を基盤とした近代社会の教育とは、子どもたちを、「批判的にものを考え」「意欲的に参加する」市民として世の中に送り出すことを目的としているものだ。しかし、日本の学校教育は、できるだけ「批判」を避け、あまり元気に「参加」しない人間を作ることばかりに向けられてきた。

そんな日本の学校が、世界に出て、他国の若者たちと共に「議論できない」、他人から反対意見を言われると、しょんぼりして拒絶されたような気分になる人間ばかりを作ってきた。議論もせず、反対意見を言われたときに、自分の主張を曲げずに相手を説得しようという態度に出ることのできない日本人を、西洋の人たちは、理解できない。どう相手にしたらいいのかわからない。だから、いつか看過していくことになる、、、

中国では、この夏、こぞって英語その他の外国語コースが熱狂的に流行したのだそうだ。

日本にも、かつて、高度成長目覚ましい時代があった。あの時、やっておけばよかったこと、今となっては取り返しのつかないことがあまりにも多い。

2010/08/13

中立より多元主義  ~マスコミを考える~

 NHKの政治解説者の自殺をめぐって、ネット上では、相も変わらず、根拠のない「憶測」が飛び交っている。〈中立〉を旨とする公共放送団体で起きた事件が、こうした「憶測」によって、噂を広げ、世論に影響を及ぼし、都市伝説に変えられていくことが恐ろしい。そして、そうなることを承知で、無記名による、乱暴な、罵りが、警察の発表も、報道をも無視して、先取りして人々の耳に刷り込まれていく社会も不気味だ。

 マスコミのジャーナリストたちの「良心」「良識」を問う前に、無記名の言論に左右されない、情報を正しく取捨選択できることも確かに必要であるのかもしれない。そういう議論は、メディアリテラシーとして、結構よく聞かれる。

 だが、私自身は、マスコミや公共組織に求められる〈中立〉とは一体何なのか、ということを問うてみたい。

 そもそも、ある人や組織が、まったく政治的に〈中立〉であることが果たして可能であるのだろうか?

 マスコミの「偏向」を安易に批判する人たちは多い。しかし、この人たちは、「中立」などという立場で人や組織がものを言える、ということを本当に信じているのだろうか。批判しているその人たちが、批判されているマスコミを「偏向」と呼ぶ、そのことが、すでに、その人たちの立場の表明であり、「中立」とは程遠いのものなのではないのか。

 オランダの公共放送は、政治的にも、宗教(倫理)観おいても、それぞれ立場の異なるNPO団体が、それぞれの会員数の規模に従って、一定の時間枠を得て、その中で、自由に意見や立場を表明できる。

 どの番組一つをとっても、何らかの立場、何らかの「偏向」の中で報道が行われていることを、はじめから前提としている、と言い換えてもいい。

 肝心なのは、誰ひとりとして、排除されないことだ。マイノリティ集団であっても、公共のメディアを通して、声をあげ、その声を、他の人々に「聞かれる」権利が守られている。

 では〈中立〉とは何なのか。
 〈公共〉とは何なのか。

 それは、中立や公共という名の下で、一つの価値観を普遍化させることではない。
「中立」と「公共」は、法と制度の問題だ。誰もが、同じように声を挙げ、誰もが人間として同じ価値を認められて意見を聞かれること、それを保障するのが、中立的な『公』の立場にある、「公」務員と「公共組織」
がやるべきことだ。何度も繰り返すようだが、〈中立〉な意見、〈公共〉の立場、など、あり得ないものなのだ。「公」は、国民すべてのために「平等」を守ることに徹すればそれでよい。法によって示された、人としての権利を、すべての人に「平等」に守ること、そのために機能していれば、それ以上のことをしてくれなくてよい。してはいけない。

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 社民主義のヨーロッパといえども、イタリアでは、ベルロスコーニがマスメディアを掌握しているといわれた。マフィアとのつながりも取りざたされた。そんな中で、この数年、命を賭してマフィア批判の映画を作る動き、シシリア等の商店街がマフィアボイコット運動を起こす動きなどがしばしばイタリアから聞こえてくる。国外には、そういうイタリア市民の動きを報道するメディアがある。ヨーロッパ連合は、マフィアを初め、暴力団体の社会からの一掃を目標に掲げている。

 日本のマスメディアの零落ぶりは目に余る。経済不況が拍車をかけ、儲けのないもの、金銭的に損になるものには手を出さなくなってしまったようにも映る。それどころか、カネになるなら、ジャーナリズムの使命などどうでもよいのか、と思えるような報道すらある。日本のマスメディアに、常に脅しをかけてきたのも暴力団体だ。

 そんな日本の新聞やテレビは、もはや、世界各地でどんな災害が起こりどれだけの人命が失われているのかということや、IMFやOECDが次々に発表している、世界各国の経済状況などのニュースは、とんと伝える気がなくなっているようだ。来る日も来る日もニュースのテーマに上がってくるのは、殺人・自殺・暴行事件ばかり。一億人を恐怖に駆り立て、一億人を悲観に追い立てる報道に、いったい何の意味があるのだろう。

 オランダならば、こどもニュースで小学生でも知っている世界の災害と被災地の様子、中学生が加わって議論する経済政策の話し、死刑や刑罰をめぐる議論。日本の若者たちは、言葉ができないから議論に加われないのではない。知っておくべき情報を知らされていないから、議論の基盤がないのだ。

 それだというのに、暢気に構えた知識人らは、「いや、ネットがあるから大丈夫」とでも言わんばかりだ。そのネット上で、無記名で人を罵倒したり、独善的な言質をばらまいたり、既存メディアには報道できないだろう、とばかり、根拠のない情報を垂れ流していても、だ。

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 問題は、何が「中立」か、ではない。
 問題は、誰でも、一人ひとり、平等に声を聞かれる公共メディアがあるかどうか、なのだ。

 私たちが、求めるべきは、ありもしない〈中立〉ではなく、マジョリティもマイノリティも、同じ土俵で語り合える「多元主義」の社会だ。マジョリティにもマイノリティにも、何が重要で何が社会で議論されるべきかについては、優先順位があるはずだ。それぞれの価値観が認められていてこそ、民主主義は健全に機能していく。

 日本という国が、本当に新しい「公共」を確立させたいのなら、まず取り組むべきは、マスメディアの、公共資金源を確保し、メディア関係者の法外な給与慣行をやめ、暴力団による圧力から守って、マイノリティにも、マジョリティと同様に平等に開かれた機会を与えることだ。

2010/07/29

施策を国民がチェックできない偽装『民主』国家

 千葉法務大臣の死刑執行のニュースが、いまだに、喉元に引っかかったまま消化できないでいる。

 死刑廃止論者として、国外にまで名が知られていた千葉法相が、自分一人で判断して下した結果だったとは到底思えないからだ。
 だとしたら、本当に決定権を握っているのは、いったい誰なのだろう?
 考えられるのは、法務省の上層官僚だけだ。
 有権者による、民主的な手続きを通して選ばれたわけでもない、官僚たちには、いったい、どれだけの「政治的権力」があるのだろう、と空恐ろしく感じるのが、今回のニュースだ。

 官僚とは、人権保護を市場の原理とする西洋の民主制度においては、まさに「公僕」そのものの役割を果たすことを期待される。
「公僕」とは、人に仕え、人のために働く僕である、ということだ。
そして、そのために「法」がある。人々に「公表された」法律、国会という、人々が「選んだ」代表者によって立法された法律を順守しして、それに基づいて、人々の人権を守ることを旨として働くのが本来の「公僕としての官僚らの役割だ。

 死刑問題は非常にセンシティブな問題である。

 ヨーロッパ連合は、死刑制度を維持している国の参加を認めていない。後発の開発途上国家、非西洋の国々の中にも、死刑制度を廃止する国は増えてきている。

 無期懲役は、すでに、それだけで、自由を奪っているわけで、人権の大半を奪われた状態で生きることを意味している。しかも、人が裁く裁判に、100%間違いがないとは言い切れない。死刑は、刑を執行してしまったら取り返しがつかないことになるという意味でも、慎重さが問われる。犯罪の被害者の痛みは、その犯罪を犯した人を「殺せば」済む、というものではないはずだ。

 怖いのは、そういう議論がいくら社会一般の人々の間で繰り返されていても、顔も見えず、資格も明らかでなく、責任は大臣になすりつけて済ますことのできる官僚たちの判断が、何の法的な根拠もなく実行されているのではないのか、ということだ。

 そうでなかったことを祈りたい。だが、そうでなかったのなら、死刑を下した責任は、千葉法相にあくまでも残る。いったい何があったのか、日本国民には明示される日が来るのだろうか。千葉さんは、自分が、大臣という地位にありながら、これまで、国際的に明示してきた自分の立場に反して判断を下したことを、これから、どう自分自身の中で処理していくつもりなのだろう?

 日本で起こっている、人の命にかかわる事件が、こうして、いったいだれの責任なのかわからないままに、ニュースにのぼり、いつかまた忘れ去られていく、、、、。有権者はその恐ろしさをどこにも感じていないのだろうか。

 同じく、官僚が作り、官僚が管理してきた日本の学校の中で、私たちは、歴史的事実を批判的に検証することも、日々、国内外から登ってくるニュースを取り上げて議論することも、皆、「政治化する」「変更教育」という名で、禁じられてきた。それが、日本中の大人と子どもを、「批判しない」「考えない」大衆に育ててきた。ジャーナリストは、記者クラブで、官僚の報告を書き取り右から左に報告するだけ、教員は、教科書に書かれていることをマニュアル通りに一斉授業するだけ、、、、、

 日本人の不幸と自殺とひきこもりの原因は、こういう社会の中で、自由も自立も参加も奪われていることだ。それは、「奴隷」「大衆」「独善」しかない、人間として、情けないほどに恥ずべき、牛馬のような扱いの社会だ。



 

2010/07/28

哀しみの祖国

 有権者が政権を替えた、というあの高揚感からわずか10カ月余り。7月11日の参院選の結果は、あまりにも醜い。

 日本の経済不況と社会不安に対して無策のままに、政治家としての既得権だけを維持しようとしていた自民党に対する有権者の「ノー」が民主党政権の実現を生んだ、と思っていた。民主党の党内の派閥分裂や、対米外交の難しさが、新政権の足枷になっていたとはいえ、まさか、こんなに短期間で、票が自民党に戻っていくとは思ってもいなかった。マニフェスト不履行、カネまみれは、自民党のお家芸だったではないか、、、、

 低い投票率は、政治と政治家に対する有権者のボイコットなのだろう。それは、等の違いにはかかわらないものだ。今ほど、日本の未来、とりわけ、世界の中で日本が立ち上がり、一人前にふるまえるようになるかの瀬戸際の時期に、有権者がほとんど自国の政治に関心を持っていない、持っていても、自国の政治に反映できるという期待がないという事実は、諸外国から見て、先進国日本としては、到底「理解を超える」ものだし、当の日本人にとって、これくらい閉塞感の強いものはないだろう。

 そして、今日のニュースは、就任時には、死刑反対論者として世界的にも注目されていた千葉法相が、あっけなくも、二人の死刑囚の刑執行に立ち会ったという。
 何か裏があるのではないか。しかし、裏があったとしても、彼女には、無死刑制度が加入条件の欧州連合や、その他アジアアフリカラテンアメリカなどに増え続ける死刑廃止など国際的な議論を梃子に使う力と立場があったはずだ。

 昨夏の政権交代以来、「ああ、やっと日本に静かなる革命が到来してきている」と思っていた。やっと、市民が主権を握る成熟社会への突破口ができた、と思っていた。しかし、それが、根拠のない幻想であったことが次第に分かってきた。

 どこから手をつけたものか、、、、

 誰に頼まれたわけでもない。しかし、諸外国を見てしまった私には、課せられている宿題があるような気がして、、、、その宿題を果たさなくては、責任逃れをしているような気がしてならない。

2010/06/24

「ここ」と「今」から距離を置く:パラダイムシフト

 オランダの乳幼児教育の専門家を伴って日本に来た。2日間の研修の通訳・コーディネーターをしながら、彼が数年間にわたって組み立てた乳幼児教育プログラムの内容を改めてじっくりしっかり学ぶことになった。

 その中で彼がとても強調する考え方にディスタンシング理論というものがある。「ここ」と「今」から距離を置くことが、子どもにとって、そして、人間一般にとっては物事を把握し思考を深めていく際にとても重要だ、という。

 自分の生まれた土地を出て文化習慣、社会制度の異なる土地や国に暮らすことは、それまで「ここ」でしかものを考えられなかった自分に「あそこ」の視点を与える行為だ。「あそこ」に立って「ここ」を見直すことによって見えてくるものは多い。それは、本や情報を通しても疑似的に体験できることではあると思う。だが、字面の本はやはりメディアだ。映画や動画でさえも、視覚と聴覚を刺激しても、嗅覚や触覚までを刺激するものでは、残念ながらない。百聞は一見にしかずとはそのことを言うのだろう。

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 「今」を見直すにはどうすればいいのか。
 歴史を学ぶことにほかならない。しかし、過去を五感で体験することはほとんど不可能だ。歴史家の書いた歴史書に頼る以外にない。しかし、それは、他人の目というフィルターを通した二次体験にすぎない。そして、その歴史家さえも、過去に居合わせそこで生きていたわけではない。

 過去の時代の社会状況、人々の暮らし向き、政治の様子、経済の状態、その時代のものの考え方、などをできるだけその当時のままに知るということは、どれだけ掘り起こしても探りきれないものだろう。しかし、その行為が、今の時代を見つめる目を養う。だから、歴史は、人に習うものではなく、自分自身が検証するものでなくてはならない。

 近い過去なら、その時代を生きた人たちの証言を聞くこと、遠い過去なら、その当時に使われていたもの、書かれたもの、など原資料をたどって現代というフィルターをできるだけ書けずに当時の人々の社会感覚の中で出来事を見直す作業が必要だ。

 それが、「今」という時代を、私たちが相対視する力をつけてくれる。未来はどうあるべきかを考える力を与えてくれる。

 だが、情けないことに、日本の学校でおこなわれる歴史の授業は、他人が自分の解釈で書き連ねた歴史の流れを知識として覚えることだけだ。「もう一つの教科書」論争はその問題を如実に表している。

 当時の論争は「どの解釈なら教科書として受け入れ可能か」という観点からだけ議論された。それは、あまたある解釈のうちのひとつ、one of themとしては誰も議論しなかった。
 数年前、私は、日本の中学校の歴史家の学習指導要領について調べてみたことがある。すると、その中に、20数か所、「この点についてはあまり深入りしないように」と書かれている。いずれも、歴史家によって、解釈の違いがあり争点になっている箇所だ。なぜ、そこに深入りしてはいけないのか。まさに、そういう箇所こそ、なぜこの人はこう解釈し、他の人は異なる解釈をしているのか、と議論すべき個所ではないのか。そんなことをいちいち議論していたのでは「授業が進まない」「1年間の課題を終えられない」「試験問題を出しようがない」施政者たちはそう思っているのかもしれない。

 しかし、ここでも、学校教育の受益者であるはずの肝心の生徒たちの権利はなおざりにされている。

 争点がある場所こそ議論をしてみるべきなのだ。それが、「今」を相対化して見直す、という歴史の意義を学んでいる子どもたちに、計り知れない好奇心を誘い、自分の「今」と「ここ」から距離を置くまたとない練習の場を提供するはずであるのに。

 歴史の勉強をするなら、いろいろな歴史書をつきあわせてみるに越したことはない。
 うまい具合に、日本の歴史を簡潔にまとめた学校の教科書という材料があるのなら、違う教科書を並べてつきあわせ、その違いは何か、違いはいったいどこからきているのか、それをやってみるに越したことはない。

 私たちの思考を深め、モノを考える力を養い、自分の頭で考える訓練の場を与えてくれるのは、「ここ」と「今」ではなく、「あそこ」と「過去」なのだ。それが、未来のあるべき姿を、それぞれに考え、みなでつきあわせて時代を切り開いていく力となる。

2010/06/17

鎧を着ない人・粋の真髄

 戸口から人が入ってくる。待ち合わせた場所で人と出会う。初めての人と電話で話す。

 そんな瞬間、こちらの心は五感の塊になる。その人は、今、どんな気分でいるのだろう、初めて会う人はどんな人なのだろう。そういう瞬間に言葉はいらない。人間とは不思議なもので、存在するというだけで、言葉がないまま、その場の雰囲気を変えてしまう。

 出会いの瞬間に心に鎧を着る人は多い。ふと、その瞬間に、自分を生の自分ではない、自分が理想としている人間像に変えて人に見せたい、という心が動くことはよくある。闘争心や嫉妬心がもしかするとその後ろに見え隠れしているのかもしれない。

 大げさな身振り手振り、世界の不幸を一人で背負ったようなしかめつら、毛羽立った化粧、奇をてらう声、目立ちたがりの服装、、、、

 なるほど、人は、自分を自分以上のものに見せたがるものなのだ。でも、それは向上心などではなく、場当たりの見栄にすぎないことの方がずっと多い。

 自分があるがままでいられる社会に暮らして随分と時がたった。

 どこに行っても、自分はどうせ外国人、奇異に見られて当たり前、という暮らしを続けてきた。

 時折日本に帰ってきてみても、私はもう、普通の日本人ではない。自分はそのつもりでも、周囲はそうは見てくれない。


 どっちにしたって、周りは私を「奇異」だと思うのだもの、別にどうでもいいじゃあないか、と開き直る癖がついてしまった。

 「何かに合わせる」その「何か」がなくなって随分と楽になった。
 鎧を着ずとも人に会えるようになった。

 最近、心地よい存在でありたい、と思う。その場に対して、そして、他の人に対して。

 粋とはそういうことなのではないか。

粋は、自分ではなかなかできない。けれども、しかめつらも、難しい言葉遣いも、奇をてらうこともしない、、、 そんな人が私は好きだ。そういう人のそばに近づいていって、何かたくさんの大切なものを、ひそかにもらい受けたい、おこぼれにあずかりたいと思う。そして、いつの日か、そんな粋な人間になれたら、と思う。人間、ただ、生まれたままに生きるだけではつまらない。美しく生きていたい。

2010/05/17

翼を広げて

 子どもの頃から、親兄弟がしているのと同じことはしたくない、と思ってきた。すでに親が長い時間をかけて熟練、到達したものをやるのは、踏み荒らされ、その結果またきれいに地ならしされた土地に足を踏み入れるようで嫌だった。それは言い訳にすぎず、実は、親が到達したレベルを超えられる自信がないというだけのことだったのかもしれない。
 学生の頃、無謀にもその頃まだほとんどだれも手をつけていなかった東南アジア研究に取り組んだのも、同じ気持ちからだった。先行研究がほとんどなく苦労したのは、先人の知恵に耳を傾けようとしなかった若気の至り。不勉強の罰があたったのだろう。

 人それぞれに性格があることだから、一概には言えない。でも、私自身は、自分が思い切り翼を広げて、自分で試し、成功したり失敗したりしながら自分なりの仕事を見つけていくという作業が好きだ。されがわたしの生き方だ、といっていい。追随したくない。自分だけのゆったりと広い場、夢を追いかけて翼を大きく広げられるゆとりや場が私にはいつも必要なものだった。

 そういう自分であるのに、わが子らに対しては、自分の思いや自分が蓄積してきたものを押し付けてしまうことが多かったのではないか、と思う。実際、無意識のうちにそうしてしまっている自分に何度も気づかされながら子どもたちを育ててきた。親とは実に勝手なものだ、と思う。

 自分がした苦労を子どもにはさせたくない、自分が達成したものを礎にして、その上でもっと発展してくれたら、、、、そんなことを考えるのが親というものであるらしい。しかし、子どもにしてみれば、そういう親の態度が、しばしば窒息するような気分を生んでしまう。いまだに未熟で、いろいろなスキルや情報を持たない子どもにとって、親が長年かけて積み上げてきた成果は、眩しすぎる。若人にとって、熟練した初老の先人の業績は、輝かしくて重すぎる。

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 親子も夫婦も、お互いに、お互いの興味や関心をのびのびと広げられる余裕を与えあうことは、互いの個性を伸ばし、互いに尊重し合える関係を築く基本であると思う。個性の中には、価値観もあるかもしれない。多少の価値観のずれは、むしろ、自分を見直すいいきっかけになる。

 そう気づいたら、親子も夫婦の関係も楽になった。もちろん、子どもたちや夫が、わたし自身に翼を広げて生きるゆとりを与えてくれ、その成果を無条件に喜んでくれるからにほかならない。家族というものは、また、そういう温かさのある、他の類のないものだ。

 結局、息子も娘も、夫や私が専門にしてきたこととは全く別の道を選んだ。そして、それぞれに、家族の中では、その道の「専門家」としての地位を築き始めている。少なくとも、お互いに、そんな風に尊重し合う大人でありたいと思っている。不思議なことに、それぞれが、異なる専門を持ち、異なる仕事にかかわっているにもかかわらず、自分の仕事に深くかかわり、何かの問題にぶつかったとき、お互いに共感できる何かに突き当たり、会話が、果てしなく興味深く続いていくということがしばしばある。結局、仕事も研究も、突き詰めれば、人の生き方、社会とのかかわり方にあるのだろう。それが、専門が違っていても、共感を生む原因なのだろう。

 人は、それぞれ、自分の得意な分野で自分の持っている能力を最大限に発達させればいい。そうして、同時に、自分とは異なる専門や技能を持つ人の言葉に、耳を開いておくのがよい。自分とは違う入り口からみた見方が、再び、自分自身の力を、ひょいとレベルアップさせてくれる。

 わが子らもが、それぞれ、私たち親とは全く違う専門を選び、いよいよ巣立ち始めた。
 翼を力いっぱいに広げて、自分の力を試したり、もっと大きな力をつけたりする場をもっともっと見つけてほしい。港に錨をおろしてしまわず、航海を続けていってほしい。そして、「これは私が自分の翼を大きく広げて、力いっぱい飛んでつかんだものだ」と、みずからの夢をなんどもなんども実現していってほしい。

 

2010/04/29

バラバラの個人で民主主義は可能か?

 政権が交代して半年余り、もともと、不況下のカネなしの政権だ、難航することは目に見えていた。そんな中で、「民主化」を再度根本から問い直さなくてはこの国の未来がない、という自覚が、政権にあることだけはよく読み取れる。

 メディアの方はといえば、政権交代以後、どっちを向いてモノを書いたらいいのかわからないらしく、参院選を前に、自民崩れの新党が生まれたといえば、やたら大声で書いている。少し、距離を持ってこの現象を眺めてみれば、早い話が、自民党の内側からの事実上の崩壊にすぎないのではないか、と思うのだが。

 案を出してみては叩かれる新政権。叩いているのは人か、日和見メディアか?いったいだれが選んだ政権なのか、マスメディアは何をしたいのか、、、。米国政府の対日見解は伝えられても、その背景としての米国社会の事情まで踏み込んだ解説はほとんどない。そんなにっちもさっちもいかない状況で、カネがない上、案も通せないとなれば、有権者に問いかける以外にない。なにしろ、民主主義国なのだから、、、と思い出したように、市民に脚光が浴び始めた。

 最近、新しい公共のための円卓会議初め、市民の声を集め、ネット上の議論を刺激するイニシアチブが、政権・官僚の方からとられている。民主化のスタンスにすぎないのかもしれない。反面、自民政権時代に比べると、ずっと市民にオープンで、案外本気なのかな、とも見える。だが、仮に本気で会ったとして、果たして、こういうやり方は、本当に、具体的な政策の実現、特に、急を要する問題の対策を決めていく際に、効果的であるのかどうか。

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 多数決主義が究極まで行きつくと、社会は、完全に分極化してしまう。2大政党制のアメリカ合衆国はそのよい例だ。だが、日本の場合、マイノリティの声を取り上げないマスメディアのために、2大政党どころか、一党独裁が延々と続き、意図的、人為的にトップダウンの形で、無理やり多数派が作られてきた。しかも、多数派の価値観が、学校教育制度を通じて社会に敷衍されてきたのだからたまったものではない。社会は行きつくところまで究極の分極化の事態となった。

 円卓会議などの、市民の声を集めるやり方は、どうやら、アメリカあたりで発生してきた、市民意識活性化のメソッドであるらしい。だが、そういうやり方は、どこまで効果を発揮できるのか、、、、

 もともと、民主主義政治は、衆愚政治に陥りやすい。だから、そうならないための装置が必要だ。その装置の最も重要なものが公教育だ。公教育の中に、お互いに対立する意見を言いあう場、意見が対立していてもお互いを受け入れ、互いに場を与えあうという共生と協働に対する意欲的な姿勢、対立の中から共同のための合意を生み出す方法などを、子どもの時から練習していなければ、民主的な市民社会は成り立っていかない。

 そんなものが何もない状態で、不満と独善に満ちた人々が多数うごめいていたのが自民政権末期の状態だった。新政権では、そこに、政府が主導して人々がモノを言える場をつくるようになった。事業仕分けしかり、熟議議論しかり、、、だ。

 しかし、この数年、私たちは、ネット上の議論が、誰という指導者もないまま、結局は、意見の対立で硬直し、生産的な成果を生むよりも、個々の勝手な意見で雲散霧消するか、デッドロックに陥ってしまうような事態を頻々と見てきた。政府が、「公的に」公開した、市民の意見も、また、ありとあらゆる立場からのものであるだろう、それを、いったい、だれが、どんな権威で取りまとめていくというのだろう?そんなことが実際に可能なのだろうか。

―――――

 ふと、オランダには、そういうシステムがあるだろうか、と振り返ってみる。どうも、それに似たものはあまりない。なぜなのだろう、と考えて見て、はたと気づいたのは、オランダが、多党連立の政党政治であるという事実だ。有権者の一票が確実にみんな同じ比重で計算される完全比例代表制の選挙では、大政党も小政党も、同じ土俵に一様に並んでその政治指針を表明し、有権者の審判を受ける。

 こういう政党政治の背景には、どの立場もマジョリティではない、という多元主義の社会がある。権威を振り回せる人物や集団は、社会のどこにもいない。権威があるとしたら、政治的には中立の独立のシンクタンクだけだ。
 こういうオランダでは、時代とともに新しく登場するさまざまの社会問題に対して、大小の政党が、それぞれの立場を明らかにする。有権者は自分の立場に最も近いものを、複数の政党の中から選べる。また、自分の意見を反映する政党がなければ、自分で政党を作ればいい。小さな政党であっても、全国の有権者から票を集めれば、議席をとることができるからだ。

 9.11事件の後、専従のオランダ人たちと、イスラム教系の移民たちの間の関係がぎすぎすし始めた時、移民対策省の大臣は、イスラム系の人々に、一つの集団を作って、その内部で、政治的な立場を明らかにして、公表せよ、と示唆した。多元社会の中で、一つの束になった集団を構成し、団体で交渉せよ、といったわけだ。
 こんな例もある。王室行事や戦没者記念事業などをやるたびに登場する、反王制派や戦争被害者集団など、不満分子、一つ間違えば暴力に走らないとも限らない社会的な要因がある場合、そういった行事の場で、必ず、そういう反対派の人たちが集まる場が特別に、まるで特等席のように準備される。民主社会では、不満も抗議も、暴力を使わず、言葉で正々堂々とやってもらわなければ困る、そのための場を、私たちは排除しない、という政府のスタンスだ。

 これなどは、今日本で起きている、市民の声を引き上げるための、市民参加の場づくりに、似ているようであり、異なっているものでもある。
 異なっている点は、マイノリティのさまざまの立場を、<束>としてまとめるように政府が率先して刺激することだ。結局、そうでもしなければ、個々ばらばらの意見は収拾がつかなくなる。マイノリティ内部の、独善的な分子による意見対立などに、国はいちいちかかわっているひまはない。

 さて、日本は、どうやら「静かなる革命」の真っただ中にいるらしい。だが、革命ならば、それは成功裏に完成されねば革命とはいえない。良い、民主的な、市民社会の仕組みが、具体的形として作られなければ、議論の意味はない。そこに至るために、市民の声を漫然とオープンのフォーラムで引き上げる今のやり方がほんとうに効果的であるのか、、、、

 元来、民主主義は衆愚政治に陥りやすい、と前に言った。
 個々ばらばらの人々の議論ではまとまりがつかないことは、初めからわかっていたことなのだ。だから、政党政治の形が生まれた。しかし、各国の政党政治は、民主的な制度という観点から見た時に、さまざまの問題をいまだに持っている。小選挙区制はその象徴だ。小選挙区制は、カネや権力を持っているものが、一件「民主的」な制度の中で、どう票集めをするかの小賢い手段であるとすら言える。

 本当に効率よく、民主的な社会を作りたいのであれば、小選挙区制を廃止して、比例代表制の政治にすればいい。本当に、民主的な社会を望むのであれば、新聞などのマスメディアへの圧力を緩め、マスメディアに、マイノリティの声がそのまま反映されるような仕組みにすればいい。そうしてこそ初めて、市民一人ひとりに等価の選択肢が与えられる。そうすれば、後援会もいらなければ、コネもカネもいらなくなる。国庫支出の無駄は大きく節約される。これまで体制マスメディアに顧みられることがなく、烏合の衆とみなされてきた顔のない人々が、選ぶ主体、考える主体として、主体的・能動的に社会に参加する市民になる。
 余計なカネをかけて、パンドラの箱を開け、収拾のつかないカオスを招き寄せるような回り道はせずに済むはずなのに、、、。

――――

 されど日本、、
 世の中の変革は、社会の中に、現今の問題を意識し、それに苦悩している人の数が絶対数として高まり、何かが飽和状態にならないと動き出さないものであるらしい。去年の政権交代は、それを思わせる事態だった。それが人々目に見える形になって現れること、市民自身が体験的にそれを学べること、今、日本で起こっている市民参加の円卓会議的なやり方には、少なくともその効果だけは期待できるのかもしれない。問題は、そういう社会の刻一刻と動き形を変えている事態を、人々がつかめるような記事を、マスメディアがどれだけ成功裏に流し続けることができるか、だ。

2010/03/03

No evidence is not an evidence

 No evidence is not an evidence
「証拠がないということは証拠ではない。」

 そう教えてくれたのは、大学に入って1年目、論文の書き方の授業を受けていた娘だった。

 何かがない、と言い切ることはできない。なぜなら一つでも反証となる事実が見つかれば、『ない』という表現は直ちに無効となるからだ。このことを感覚的・経験的に感じていた私は、それまでも、何かが『ない』という表現はできるだけ避けるようにしてきていた。だから、娘が教えてくれた表題の表現は、思わず膝を打つような思いで聞いた。同時に、なるほど、オランダでは、科学論文や論理学の原理原則として、こういうことを若いうちにみんな学ぶものなのだ、と、またしても、自分が受けてきた日本の教育の粗雑さを再認識したのだった。

 (もっとも、それからしばらくの後、自分が書いた本のタイトルに編集者から『OOゼロ、OOゼロ』というタイトルをつけられることとなり、多少の抵抗はしてみたのだが、そのタイトルが気にいってしまっている編集長に抗う術はすでになく、苦笑しつつも妥協してしまったのだが、、、)

 実に、『何かがない』ということは証明が不可能なことだ。なぜなら、すべての事例を悉皆調査することは不可能であり、一つでも『ある』ことが証明されれば、『何かがない』という表現は根底から覆されることになるからだ。

 南京大虐殺をめぐって、また、その他の軍の残虐行為をめぐって、日本では、『あった、なかった』の議論が延々と繰り返されてきた。たったひとり、誰かが『ない』とか『なかった』などということは、証明しようにも証明できないものなのだ、と明言していれば、こんな不毛な論争を続ける必要はなかったはずだ。こんなところにも、日本人の『科学』意識の貧困が垣間見られる。

 科学は倫理をささえるためにも使われる。

 虐殺は、一つでも『あった』のなら、動かしがたい現実だ。
 その数が、1万であったのと、10万であったのとで、倫理に違いがあるものだろうか。人が、人を、理由が何であれ、殺してしまうという事実は、たとえそれが、一つ限りであったとしても、その罪を犯した人は責を免れることはないはずだ。そして、そういう事態を引き起こしながら、見て見ぬふりをしている大衆を生み続ける社会もまた、たった一人の被害者に対して、大きな責任を持っているはずだ。

 私たち日本人は、いまだかつて一度も、そういう、一人ずつの尊厳を踏みにじった過去について、共に深く考えてみたことがない。

自己陶冶なき日本の”近代”

 明治になって、日本の近代は、西洋の制度を模倣することから始まった。
 当時、日本の小学校制度はフランスの制度を模倣し、中等教育にはドイツの影響が大きかったという。
 
 敗戦後、しかし日本は、明治維新以来の制度が軍国主義の制度であることに目覚める。あたかも、軍国主義を払拭するかのように、アメリカの制度が、特に教育においては、アメリカの6・3・3制が、民主主義教育の理想型であるかのように導入され、受け入れられた。

 しかし、こうした過程の中で、日本人の、おそらく大半が気づいていない大きな落とし穴があったのではないか。
 第1に、元来、近代とは、何らかの権威に対して、市民が意思表明をして生まれるものであるにもかかわらず、日本では、それが、封建的な権威者である官僚制度を通して、単なる形骸的な制度として移植されたにすぎなかったこと、第2に、民主主義とは、その名の通り、その時代に生きるその社会の人々の意思の総体の上に成り立つもので、したがって、時代が持つ社会環境の変容とともに常に変わり続けるもの、常に環境に適応し続けるものであるということだ。

 だが、哀しいことに、多分、後発近代国家の宿命とも言うべきものなのかもしれないが、日本の近代化は、市民参加を抜きにした、単なる形骸に過ぎなかったし、日本の民主主義もまた、人々の参画のない、したがって、官制の制度にばかばかしいほどに呪縛されたものであった。

 それが、結果として、制度疲労を招き、市民の参加意欲をそぎ取る、形だけの『民主国家』を生むこととなった。

 あの、麗しきヨーロッパ、マロニエの葉の茂る、シャンゼリゼの風薫るフランスから来た小学校制度は、今も、日本の小学校の原型であり続けている。たとえそれが、『国民教育』という名で、のちに、種々のヨーロッパ諸国で議論の的になった制度のあり方であったことなど、まるで頓着もしないかのように、、、
 本場の、民主主義社会の先進地域ヨーロッパでは、その制度は、絶えず、自己陶冶を続けているにもかかわらず、だ。

 『先進』国にはモデルがない。『先進』国であり続けるには、人々の知恵を集めて自己陶冶を続けるしかない。日本が、真の意味で『先進』国になれないのは、どこからか出来上がったものを探してきて移植しさえすればよい、という潜在意識にとらわれ続けているからだ。

 同時に、ヨーロッパの先進国を、真に深刻に目指していたのであれば、いったい、なぜこんなにも日本のマスメディアと学界とは、ヨーロッパの現場の姿の情報を恒常的に追い続けることが肝要であるかということに覚悟を決めて取り組んでこなかったのだろうか。
 マスメディアと学界の、この点でのナイーブさは、尋常ではない。英語圏の情報はおろか、それ以外の、せめて、ドイツ、フランス、オランダ、北欧諸国といった国々の情報について、周到な研究の厚みが日本にはない。後発近代の自覚があるのなら、独自の近代を陶冶するためにも避けられない情報がそこにはあるはずなのに、日本のマスメディアや学界から聞こえてくるヨーロッパの情報は、散発的で、共有された基礎認識を欠いている。しかも、『科学』たるもの、現場の実証的な事例から出発すべきものであるにもかかわらず、マスメディアの情報は、場当たり的な偶然の事例を歴史的文脈から離れたところで論じていたり、学界は、不足の情報を、日本的なパラダイムの中だけでこねくり回しただけの理屈にすぎないものがあまりに多すぎる。

 日本の危機があるとすれば、それは、小さな日本という世界の辺境の地の中で、あたかもぬくぬくと自己完結しようとし、必要であるとは分かっているのに、怒涛のように変容し続ける、そして、自己陶冶を遂げ続ける、本当の意味での先進国に会えて仲間入りをすることをためらい続ける、『鎖国』の中だけで生存が約束されているマスメディアと学界ではないか、、、そう思う。

2010/02/13

信頼

 人に聞かれて自分が教えてあげたこと、自分が何かに書いていたこと、論文、発表したことが、他の人の筆や口から、あたかもその人のものであるかのように使われたことが、これまで2度あった。

 ああでもない、こうでもないと考え続け、身銭を切って調査し、やっと引き出した自分の業績には、誰だって執着と誇りがある。そうでなくとも、他人の言葉は、必ず、その人の名を出して、つまり情報の原点を示すことは、少なくとも『科学』という名の活動を専門とし、それでよそ様からカネをもらって生きている人間にはなくてはならないことであるはずだ。

 しかし、そうなってみれば、『やられた』側は、裁判にかけるか、諦めるしかない。盗作をした人間が、社会的地位や権威のある組織の人間であれば、同じ地位と組織を持つ同僚らは、それを表ざたに認めることで汚名を着ないためにも、その罪を犯した人を、まずは庇護することは目に見えている。

 だから、そんな盗人猛々しい行為をする人とその同僚たちに自分自身の尊厳を傷つけられることがないために、盗作者たちと同じ土俵に立って、相手を追求することは、自分のために避けてきた。おそらく、盗作した人間は、心のどこかで、自分自身に誇りを持てない哀しさを抱え持って生きていくことだろう、それがその人にとっての人しれない罪悪感として続くのであろうから、それでいい、そう思ってきた。

 最近、そういう経験が、3度に増えた。

 何が哀しいか、って、、、、盗まれることが哀しい、悔しいのではない。そうやって、人の尊厳を微笑みの裏で平気で踏みにじっていく人間が、結局は、私を、他人を無条件に信頼することに躊躇させる、用心深い人間にさせてしまうことが哀しい。
 右の頬を打たれたら、左の頬を出せ、、という。しかし、その、わが頬を打つ人間が、まるで、小便をかけられてもつるりと目をむく蛙のようであれば、、、傷ついている自分が、やはり情けない。それでも、天や仏や神は、『ゆるせ』という。たぶん、『ゆるす』という行為を、自分から進んでしなければ、人間不信に足を取られることしか、わたしの背後に残されないからだと思う。

 3人とも、人の人間形成にかかわる仕事にかかわっている人たちである。罪作りなことだ。

 なぜか、3つの、この苦い経験は、日本で、日本人の手によってしか味わったことがない。

2010/02/05

世界中の図書館を抱えて生きる時代

 アップル社からiPadの発売が公表された。まるで、昔ヨーロッパで使われた石板を連想させるような薄い電子板だが、なんと、その一枚の板を指で触るだけで得られる情報の多いこと。

 新聞、雑誌などで結構な話題になっている。
 誰もが『世界中の図書館を小脇に抱えて生きる時代』になった、という。iPodの人気からしても、きっとすさまじい勢いで世界中に普及していくことだろう。
 実に、私が学生の頃は、卒論を書くために、夜行列車に乗って地方から東京に出ていき、やれ国会図書館、やれ、教育研究所と足を運んでは、立ち並ぶ初夏の前に呆然としながら分厚い報告書を引っ張り出し、半日かけてコピー、開いてみるまで、どれだけ自分の関心に近い内容なのかもわからない、というような状況だった。
 それが、今や、キーワード検索だけで、あっという間に、引き出したい情報に接近できる。
『知識は魚のようなもの、朝は新鮮だが夕方には腐っている』
という言葉があるが、もはや、知識は、事前に用意しておかなくても、必要な時には電子板一枚で引き出せるものになりつつある。

 電子媒体による情報提供のおかげで、出版界や新聞業界などが泡を食っているのは、日本に限らずこちらも同じだ。それだけに、iPadの発売を前に、出版界も、今後どううまく紙媒体から電子媒体への移行を進めるか、はらはらしながら見守り、後れを取るまいとしているように見える。

 考えてみれば、紙が要らなくなることで、環境保全に役立つというだけではなく、印刷、製紙、運搬などの、本作り・新聞作りに占める、おそらく半分以上のコストが削減されるだろう。しかし、最後まで決してなくならないのは、人間の頭の中の作業だ。書き手の創造力・思考力・構成力・伝達力、それを読み手にうまく伝えるための工夫をする編集者の力、これらは、たとえ、紙媒体が電子媒体になっても、最後まで残るだろう。

 これまで、コスト高の本作りのために、大衆迎合的な内容であっても作り続けなければ経営を賄い切れなかった出版業界は、電子媒体の導入によってスリム化されることだろう。過渡期の痛みは大きいだろうが、いずれ、本質的に質の高い情報が自然淘汰されていく時代が来ると思う。いい時代になる。

 誰もが、それと望めば、世界中の図書館を小脇に抱えて生きる時代。
 知識は、エリートの特権ではなくなった。

 さて、問題は、、、
 英語を使えない、忌避する、日本人のエリートたち。今後ますます世界の知識社会に取り残され、どこから手をつけていいかわからない時代がやってくる。
 
 ほんの数年前、オランダの高等教育について説明している席上で、ある有名大学の教授は
『オランダにはエリート教育ってないんですか、、、、東大みたいな大学、、、ないんですか』
といかにもバカにしたように質問をしてきた。

『エリート候補生は、中等教育で幅広い教養を身につけ、それから大学に進みます』
というのが、私の答えだった。

 エリートとは何か、、、
 少なくとも、(本当はこれまでもそうだったはずだが)知識の量で測れるものではないはずだ。


2010/01/30

北風と太陽

 日本の子どもの自己肯定感が低いことは有名だ。
 自己肯定感が低いのは子どもだけではないと思う。

 入試競争が教育制度全体に大きな影を落としている日本。入試制度と学歴社会がある限り、どんな小手先の改革をしたって失敗することは目に見えている。

 なぜ、こんなに入試にこだわらなくてはいけないのだろう。なぜ、東大を頂点とした学歴社会が、あたかも、日本の発展の象徴的なメカニズムのように信じ続けられているのだろう。

 日本の大学の質は、全体として、欧州の大学との単位互換をしようにも、水準が不明瞭でできない、ということを、いったい日本ではどれだけの識者が自覚しているだろう。
 欧米の先進諸外国に留学する日本の若者たちが、そこで、言葉だけではなく、どれだけ学術研究のために必要な技能の不足に嘆き苦しむ日々を過ごさねばならないか、ということは、そうして苦労してきた人たちの口からはなかなか伝えられない。

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 入試競争は、自己肯定感よりも、劣等感を多くの子どもたちに植え付ける。
 有名大学に行くだけの学力を達成できなかった、そして、それがために、自身が持っている他のあらゆる能力の発達を顧みられることのなかった子どもたち。この子どもたちは、不当に、いわれのない劣等感を身につけ残りの人生を送ることとなる。

 でも、東大に受からず、有名私立大学に行くことになった学生はどうか。そんな人にさえ、心の底に劣等感の種はまかれたのではないのか。
 官僚たちでさえ、そうだという。東大出でも、一流は財務官僚、文科省の官僚なんて、国家公務員でも3流だから、という声は、これまで何度も聞かされた。

 こんな話、オランダ人にしたら、さぞかし、腹を抱えて笑うことだろう、と思う。

 実に、、いわれなき、そして、無用な劣等感を世の中にまき散らし続けるのが日本の教育だ。

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 そうして、そんな教育が、少なくとも、戦後65年もの間、、<戦後民主教育>という美名のもとで続けられてきたのだ。それなのに、識者たちは、
『どうして日本の子どもには自己肯定感がないのだろう』
としかめっ面で嘆く。

 あきれて、空いた口がふさがらない。

 今日本に生きている大人も子供も、みんなが、そういうパラダイムの中に生きている。

 入試はあって当たり前、世の中は、ピラミッドのように社会が作られていて、天辺に到達するまでは、劣等感が皆無の地位には辿りつかないのだ、と。

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『だめじゃないの、しっかり勉強しなくちゃ』
『OOちゃんをみてごらんなさい』
『しっかり勉強しないとお父さんのようになるわよ』
『お前だめだなあ』
『何やってんだ、そんなとこで』

そう親から言い続けられ、
学校に行けば、

声たかだかと胸を張って、まるでテレビに出てくるスター教師のように
『どうだ、みんな元気かい、頑張るんだぞー』
などとはっぱをかけられる子どもたち。

これでも、子どもたちの孤独と劣等感とが見えないのなら、それは、よほど人としての感情にかけているか、人としての感情を素直に認めて生きることを妨げられているから、としか言いようがない。

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 北風と太陽の寓話は有名だ。

 私たちは、木のように、みんな一人ひとり、自分の成長に必要なものをビルトインされて生きている。それを引き出してくれるのは、北風ではなく、太陽だ。

 あなたが、子どもとかかわる大人なら、どの子どもにも、太陽のような愛情を降り注いでほしい。決して、北風のような冷たいまなざしと言葉ははかないでほしい。

 でなければ、この社会は10年後、20年後、みな、お互いに後ろ向き、協力する気力等一つも持たない、乾き切った枯れ木のような愛情のない人たちばかりの、砂漠のような社会になってしまうだろうから。

2010/01/26

オランダ人のハイチへのまなざしに想う

 地震で住まいも街も瓦礫と化し、何万人もの人命が失われたハイチ。
 オランダのニュースは、以後、ほとんど毎日のようにその後の現地の事情を時間をかけて伝えている。
 
 早速、救済チームが現地に飛んだ。オランダには、政府機関のほか、フットワークが軽い民間団体も多い。
 養子斡旋のNPOは、現地の孤児をオランダで養子にしたいと希望している人たちのもとに連れてこれるように、早々政府に資金援助の申請をし、すぐに実施が決まった。地震からわずか1週間ほどのことだ。

 先週21日は、ハイチ救済アクションデー。
 前日、全国紙には、半面―1面を割いて、大きな広告が出、当日は、朝の6時から夜11時半まで、テレビやラジオで、募金回収のボランティアイベントが続いた。
 テレビのスタジオは、ちょうど大学の階段教室のように設定され、無料電話を受信する有名人が居並ぶ中、視聴者の関心を引くチャリティーショーが続いた。

 無料電話を受け付けているのは、日ごろからよく顔の知られた有名人たち。大半は、タレント、コメディアン、歌手、スポーツ選手らだが、その中に、首相、副首相、野党の政治家、日ごろ反イスラムで排斥的な発言を繰り返している「極右」系の野党党首も、ニコニコしながら、募金の寄付を受け付けている。バルセロナの郊外に豪邸を持つプロのサッカー選手も、かかってくる電話に、休みなく応対している。女王の妹君も、皆と一緒に、オレンジ色のT シャツを着て電話に応えている。

 有名人も庶民も、みんな平等な人間だ、というオランダ人の得意のイメージが、今回もまた強烈に視聴者に印象付けられる。

 電話寄付だけでなく、会場には、学校や職場で募金を集めてきた人たちも招かれていた。小学校2年生くらいの女の子が、学校で集めたお金を持ってきたという。3765ユーロ22セントと、50万円余りのお金の額を、セントまできちんと発表させることの大切さ。

 オランダには数少ないミシェランガイド推薦・スター(星印)つきレストランでは、シェフらが、レストラン前の路上に出て、自家製のスナックを通行人に振舞いながら、募金アクションに参加しているシーンが伝えられる。宣伝効果といえば確かにそうだが、ミシェラン・スターがつくほどのレストランには、わざわざこんな宣伝をするまでもないはずだ。企業も一般市民と同じように、人道主義のアクションに参加することに意義がある。

 『オランダは一つになって、海の向こうで今天災に苦しんでいる人たちのために募金をしている』というメッセージが、こうして、国を挙げて丸一日繰り返された。

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 同日昼過ぎ、エイントホーベンの空港に、数10人のハイチの孤児らが、養子斡旋団体の職員やスチュワーデスに手をひかれて到着した。ニュースを伝えるテレビの画面では、まず、ハイチで、現地にいるオランダ軍の兵士らの大きな腕に抱かれて飛行機に搭乗している孤児たちの様子が伝えられた。わずか10日ほど前に、突如として、親や兄弟を失った子供たちだ。どんなに不安な昼夜を過ごしたことだろう。迷彩服を着た、たくましいオランダ人兵士の腕の中で、子どもたちの表情が、安堵で和らいでいるのがよく見えた。熱帯のカリブ海から、真冬の北国オランダに到着した子どもたちは、防寒のためか、大きな毛布をまとい、その毛布を引きずりながら、空港の建物までを歩いていた。黒い肌の子どもたちが、白い肌のオランダ人の手をしっかり握りしめ、信頼しきっている表情に、画面を見ているだけの私すらも、涙が溢れるのをこらえきれなかった。

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 オランダでは、外国人の孤児をよく養子にする。70年ごろから頻繁に行われていることで、スーパーマーケットでも、路上でも、肌の色の違う親子を目にすることは少しも珍しいことではない。オランダで育った子供が、やはり、自分の本当の親に会いたい、生まれた国を見てみたい、と思うこともあるのだろう。それをテーマにしたテレビ番組さえある。

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 肌の色が違う子どもでも、言葉が分からなかったり障害がある子どもでも、養子にして引き受ける親がこれだけいる、というのは、ただ、オランダ人の中に、奇特な心の持ち主がいるからだ、というだけの理由ではないと思う。オランダという国が、肌の色、言葉の違い、障害の有無にかかわらず、どの子どもも、みな同じように発達する権利を認めている国であることが、子どもを育てたいが恵まれないというオランダ人たちに、安心して、よその国の子供を養子にできる環境を与えている。

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 さて、果たして、日本は、いったい外国の肌も言葉も習慣も違う子どもたちをどれだけ安心して養子にできる国か???

 日本人は、自分の国が、本当に、世界の平和に積極的に努力している国だ、と誇れるのかどうか、、、貧困世帯の子どもたちの教育、在留外国人の子どもたちの教育の権利、在日韓国人をいまだに差別し続けるこの国、そして、同和問題。日本人の子どもさえ、いじめ、自殺、不登校と、やむことない不幸のサインが発し続けられ、しかもなお、3人に一人が「孤独を感じている」と答える国。入試競争で落ちこぼれていく子どもたちには、やり直す機会さえない。子どもを抱える親たちは、収入の多くを教育に投資し、しかもなお老後の安心さえ得られない国。

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 外国人にやさしい社会は、自分の国の人々にもやさしい。外国人にやさしくない社会は、実は、その社会の中の人々にとっても息苦しい社会だ。


 

2010/01/22

悲観シナリオは事態をもっと悪化させる~~~70年代オランダのコメディアンが生んだ叡智

 『評論』という言葉を、私は好きになれない。問題を指摘するだけで、解決策のない評論があまりに多いからだ。そして、『評論家』という語には、当事者意識を免れていてもかまわない、というようなエリート意識が匂い立つ。

 日本の今は問題が山積しているという。確かにそうかもしれない。しかし、それでも、日本は、まだまだ経済的な地位は世界で2,3位を争うし、失業率だって欧米に比べてずっと低い。教育程度だって全体としてみればとても高い。UNDPのHDI(Human Development Index)指標は、ずっと高位を保っている。

 悲観的な評論ばかりでは、いつか本当に世の中の活力が一挙に減少してしまうのではないのか。

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 1970年代、第1次石油ショックで経済停滞に直面したオランダ。冷戦大戦の中での核戦争への恐怖、急速な産業開発による環境破壊などの中で、人々が未来に大きな不安を感じていた時代だ。

 当時、若者たちは、山積する問題に押しつぶされそうになりながら、未来への不安という暗さを、ユーモアですり抜けていこうと必死だった。だって、若者たちは、まだまだこの社会をずっと長く生きていかなくてはならなかったのだから、、、

 その頃、時事風刺で大人気となった二人組のコメディアンがいた。ファン・コーテンとデ・ビーと呼ばれたこの二人組は、山積する問題に、悲観的な未来のシナリオを描いて見せる評論家たちを指して、「doemdenker(=悲運思想家)」と呼び、当時の社会に大きな影響を与えた。

 この言葉は、経済学者たちにも頻繁に使われるようになった。
 未来に対する悲観(doem denken)は、社会に不必要により大きな悲観の種をまき、実際に社会や経済を不活性にさせてしまい、輪をかけて問題を深刻化させるというものだ。

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 世に『評論家』と呼ばれる人たち、、、
『評論』する気なら、まず、解決策を探してからモノを言ってほしい。当事者意識のない評論に、世の中の人々は耳を傾けるほど暇ではない。そして、評論などしているひまもないほど、解決につながりそうなことやモノは、世界にいくらでも転がっている。

 人間は馬や牛ではない。人間が、知恵を使う限り、文化は発達し、解決策はどこかに必ず転がっている。

2010/01/15

市民運動から政治参加へ

 民主政権への交替からまだ半年もたっていないが、あちこちで、市民運動がニョキニョキニョキニョキ立ち上がってきた。たぶん、意識のある若者たちは、政権交代までの1,2年、不満が飽和状態に達していて何かせずにはおれない、という気分になっていたのだろう。

 似ている。オランダの70年代にとても似ている。
 あの時代、オランダでは、親子の世代間断絶が問題となり、新しい世代の若者たちが、ありとあらゆる市民運動を起こしていった。そして、それが、瞬く間に政党へと成長していった。

 農民党、高齢者党、民主66党(新聞記者が主導して知識人を集めて作った)、保守キリスト教政党から分かれてできた革新はキリスト教党、ヒッピーたちの平和主義党、そして、緑の党など、、、

 短命に終わった政党もあるし、短期間で政権に入った民主66党などもある。いわゆるエスタブリッシュされた大政党、自由主義、キリスト教保守、労働者といった立場の主流に甘んじていられない人々が個々に声を上げ始め、それが全国的にネットワークとしてつながっていった。

 幸い、こういう動きが、そのまま政権に反映される仕組みがオランダにはあった。選挙制度が完全な比例代表制だったことだ。

 日本の現在の市民運動が政党としての運動を始めるならば、やがて、選挙制度の見直しが議論されることだろう。同時に、これまで、エスタブリッシュ政党の派閥争いをおって世間おろしをしさえしていればジャーナリズムの批判精神を満足させることができた大新聞等の、これまたエスタブリッシュされたマスメディアの政治記者たちは、慌て始めることだろう。それが、マスメディアを覚醒させる動きになれば、と思う。きっとなるにちがいない。

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 やっとこさ、日本が、ポスト・マテリアリズムの時代にこぎつけてきている。やはり、社会の成熟が必要だったのだな、と思う。ヨーロッパでも、心の豊かさを求める前に、生存の安全が守られるだけの経済力が必要だった。そして、平均して高い教育程度があることも条件だった。

 これから多分、労働者の権利としての組合運動の在り方、労働条件をめぐる議論、性意識に関する議論、尊厳死、死刑廃止、外国人差別などの問題が、なお一層、議論の的になっていくに違いない。
 市民運動ではシングルイッシューでも、政党化すれば、社会のさまざまの問題に対する立ち位置を明記せざるを得なくなるからだ。

 多様な価値観を、小政党が体現できるようになれば、これまでのような勝ち組・負け組の構図の中で、お互いにそしり合い独善的に分立する分極化は避けられる。立場は違っていても、分極せずに、話し合いに参加する姿勢が、社会全体のより良い変革をはぐくむ。

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 面白い時代がやってきた。うまくいけば、日本は、後発近代諸国に一つのモデルを示すことができるようになるだろう。絶対に捨てたもんではない。市民運動家は、ある種の楽観があるからこそ、一緒にやってみようじゃあないか、と集まるものだ。日本の市民運動は、定評があるとも聞いたことがある。堅実な草の根の運動はあったのに、その声が、メディアに届いていなかっただけだから、ジャーナリズムが変われば日本はかならず変わるだろう。

 こういう動きをもっと若い人たちとも共有できるといい、と思う。高校生や中学生とも。
 貧困も性も安楽死も、経済不況も労働者の権利も、国内外の差別問題も死刑問題も、10年後20年後に有権者になる子どもたちと一緒に議論せずして、いったいどうやって市民社会の行方を決める地盤を作るというのだろう。

2010/01/14

歴史を動かす人々

 昨年の政権交代までの日本社会の動き、その後の動きを見ていると、『社会』とは実に生き物のようだ、と感じる。政権交代は、長い年月、少しずつ少しずつ積み重なってきた有権者たちの不安、不満が、一種の飽和状態となり、もう我慢できないところに達して起きたことであったのではないか、、、と。
 そういう意味では、あの政権交代が、イデオロギー議論ではない、単なるポピュリズムであった、としても一向に構わないのではないか、それが社会というものなのだから、という気がする。

 すでに、93年、細川内閣ができた時、また、それが、わずか1年に及ばない期間で終焉したときに、今につながる社会の変容は始まっていたのかもしれない。政権は、変えようと思えば変えられるという意識と、しかし、良いリーダーシップが必要だ、政治を政治家に任せてはいられない、という有権者らの気分の高まりが今の社会を作ってきたと思う。

 歴史は、確かに、ある特定の人物の社会的影響力によって大きく軌道を変えることがある。そして、いったんとった軌道を再び他の方向に移し替えるのは難しい。社会そのものが動かしがたい怒涛のような波を作ってしまうからだ。

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 政権交代を経て、今、おそらく戦後最大の過渡期を迎えている日本。過渡期の社会不安は大きい。こういうときに、世の中は、右にも左にも転びやすい。日本をどちらに向かせるかは、日本のリーダーたちがどれだけ大きな世界観を持っており、どれだけ歴史の過ちに学んでいるかにかかっていると思う。

 日本は、明治維新以来、近代化の名のもとでいくつもの誤った選択をしてきたように思う。そして、誤りに人々が気付くのに、いつも何十年もの時間を要した。そして、その結果が今の日本だ。近代とは名ばかり、社会のあらゆる制度に、近代的な民主制は浸透しておらず、すべてを行政指導で抑え込む、ほぼ『封建的』と言ってもいいような制度を温存してきた。

 日本の社会の中に、知恵がないのではない。知恵や工夫はありとあらゆる分野でありとあらゆる人が持っているというのに、それを生かし、横につなぎ、より良い社会のために参加させる制度がない。

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 歴史の転換点にある日本。

 安易なカリスマ的なリーダーが、いくら「民主制」を口先で唱えても、その人物がカリスマによって力づくの転換を図るのなら、いずれ、それはまた、相も変らぬ温情主義と前近代的な甘え文化によって日本を元の黙阿弥の中に閉じ込めてしまうことだろう。これから、本当に民主化を図る政治家らには、人物としての名声よりも、政見を大事にしてほしい。

 これからの日本は、市民に社会参加を促し、市民の知恵と工夫を生かしたネットワークづくりに寄与するリーダーたちによって作られていかなくてはならないのではないか。

 再び、私の好きなペーターセンの言葉が脳裏に浮かぶ。

「将来どんな政治的、経済的な状況が生じるか、私たちはだれも知らない。
未来は、人々の不満、利益追求、闘争、そして今の私たちには想像のできない新たな経済的、政治的、社会的状況によってきまるだろう。
けれども、たった一つ確信を持って言えることがある。
すべての厳しく険しい問題は、問題に取り組んでいこうとする人々がいて、彼らにその問題を乗り越えるだけの能力と覚悟があれば、解決されるだろう、ということを。
この人たちは、親切で、友好的で、互いに尊重する心を持ち、人を助ける心構えができており、自分に与えられた課題を一生懸命やろうとする意志を持ち、人の犠牲になる覚悟ああり、真摯で、うそがなく、自己中心的でない人々でなければならない。
そして、その人々の中に、不平を述べることなく、ほかの人よりもより一層働く覚悟のあるものがいなくてはならないだろう。」

 リーダーとは、名声と権勢を喜ぶものであるべきではない。

 こんな時代だから、不景気が人々を不安にさせる時代だから、それをなお一層強く思う。あの、ヒトラーでさえ、熱狂的な人々の支持を集めたのだ。それは、経済不安にあえぐ人々が不安に満ち満ちた社会を作っていたからだ。希望や楽観が、どれだけ社会の未来にとって大事であることか、と思う。

 社会を不安にさせてはいけない。共に希望を持って働ける場を生み出していかなくてはならないのだと思う。そして、リーダーとは、『不平を述べることなく、ほかの人よりも一層働く覚悟のあるもの』のことだ。